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人生を旅にたとえるなら、その旅路は決して平坦ではなく、時に風雨にさらされたり、道を見失ったりと、喜びだけでなく、悲しみも伴うことがあるでしょう。思い悩み、苦しんで、その歩みが止まってしまうこともあるでしょう。そうした時、人は「どうして…」と心の視野が狭くなって、自分の価値を見失いがちになります。そんな時、人は、どうすればよいのでしょうか? 答えは「祈り」です。本書は、「祈り」の習慣によって得た「心の安寧」や「気づく」ことの大切さを、出会った人々との関わり合いから学んだことなどを通じて、あなたに優しく、温かく語りかけます。心がイライラして何も手につかない時、悲しくて、悔しくて眠れない夜などに、そっと開いてみてください。

祈りは神様との対話

「祈りとは、自分が神から愛されていることを知りつつ、その神とただ二人だけでたびたび語り合う友情の親密な交わりにほかなりません」(聖テレジア『自叙伝』第8章5)誰かを知ることなしに、誰かを愛することはできません。人は出会い、知り、親しみ交わることで、親愛の情を相手に持つものです。一般的に、人は友だちとどのようにして親友になりえるのでしょうか。初めて会ったときには、相手によい印象を持つとは限らないものです。へんなヤツだとか、つまらないヤツだとか思うことがあるかも知れません。でもそのうちに、相手のことが段々わかるようになり、良いところもあるなと思い始め、付き合いはじめます。話をしたり、いっしょに遊びに行ったり、勉強をしたり、スポーツをしたりしているうちに相手の性格や好みや興味がもっとよくわかるようになってきます。さらには、相手の過去、現在、未来に関心を持ち始めます。どのような学生時代を送ったのだろう。どのような家、部屋で生活して、家族はどのような人たちだろう。将来の夢は何だろう……。少しずつ友だちのことを理解できるようになっていきます。同じように、友だちも段々と私たちを知り、理解してくれるようにもなるでしょう。

僕は信仰心が全くと言っていいほどない。しかし、何かに祈るような場面はたまに訪れる。それも一種の神様との繋がりだという。困った時の神頼みではないが、都合のいい時だけ神様を引きずり出してしまいます。

信頼を持って祈る

「はたして神様は、私の言うことを聞いてくださっているのだろうか」祈りをしているうちに、ふとこのような疑問が不安と共に胸をかすめることがあるかもしれません。「私は祈った。しかし、少しも変わらない。神様は私の言うことを聞いてくださっているのだろうか。たとえ、聞いてくださっているにしても、応えてくださらない。祈るなんて独り言と同じだ。退屈だし、もう疲れてしまった……」と。私たちは、恩恵の作用を感覚的にとらえたいと望みます。できれば神様の 御 声を聞きたいと望むこともあるでしょう。しかし、神様はご出現されることはありませんし、私たちの感覚や感性を通じてお話しになるのではありません。五感を通じて神様のお応えを聞きたいと望むがために、祈りの効果はないかのように思えるだけのことです。神様はいつも私たちの祈りを聞いてくださり応えてくださいます。祈る努力をする人に実際、神様はいつもお話しになっているのです。でなければ、祈りのときに湧いてくる様々な良い思いや考えはどこから来るのでしょう。自分の空虚な生活に対する反省はどこから来るのでしょうか。今までの生き方を変えたい、もっと惜しみない寛大な心を持ちたいといった望みは一体どこから来るのでしょうか。神様は、このようにごく目立たない方法で私たちの心に種を蒔いてくださいます。祈りのとき、生き方を変えねばと思う、これが神様の応答です。

実際には神様などいないので、神様との対話というのは自己の内面と向き合うこととなる。祈る姿勢は大事かもしれないが、なんでも祈ってなんとかしようとするのはどうかと思う。そこになにがしかの自分なりの努力が伴わないと祈りも無駄に終わる。

神様と友達になる

私たちの現在も未来も、どんな人と付き合うかで、変わってくるものです。「朱に交われば赤くなる」というように、良きにつけ悪しきにつけ、付き合っている人から何らかの影響を受けているのです。世の中にはメンターとか、師匠と言われる人がいます。自分に大切なことを教え導いてくれるような人。人生の先生のような人。知恵があり、博識、賢明、誠実で、正義を重んじる人。誰に対しても、分け隔てなく愛をもって接してくれる人。そんな人とお付き合いすれば、私たちはきっと成功や幸福に導かれるでしょう。 でも、そういう人には、ふつう人気が集中してたくさんの人が集まります。いつも自分の相手をしていただけるとは限りません。でも、二十四時間いつでも相手をしていただける方を私は知っています。しかも、その方は、どんなに素晴らしいメンターやお師匠さんよりも素晴らしい存在です。誰よりもはるかに、知恵があり、博識、賢明、誠実で、正義を重んじます。誰に対しても、分け隔てなく愛をもって接してくれます。それが神様です。そして、その気になれば、誰でも神様と親しくなり、付き合いを深めていくチャンスはあるのです。そういう神様と付き合う方法が祈りなのです。

メンターやお師匠さんはいつでもそばにいるわけではないが、神様はいつもあなたの傍にいてあなたを見守ってくれている。そう考えると神様を心に留めておくことは意味のあることかも。

信仰心のない人も、信仰する神様が違う人でも、基本的に祈りとは皆同じ。幸せに気づくためのステップバイステップを見守ってくれているのです。