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1970年代、アメリカでは糖尿病患者が増え続け、当時ウシやブタから抽出して入手するしかなかったインスリンの供給不足が危惧された。打開策は、バクテリアにヒトインスリン遺伝子を入れてインスリンを生産させること。このテーマに科学界の巨人や、わずか1000ドルの出資金で生まれたベンチャー企業らが挑み、熾烈な戦いが繰り広げられる。この戦いが、遺伝子工学という新しい科学分野の礎となったのであった。

NIHによる遺伝子組み換えのガイドライン

遺伝子を切ったり貼ったりする遺伝子組み換えは、分子生物学の研究を進める強力な武器となる。そのような技術を使うのに、ブレーキは必要ないのか。この疑問はリリー社のセミナーに参加した科学者からも投げかけられた。だが、ブレーキを論じる前に、そもそも、この技術は安全なのだろうか。じつは、このセミナーの後1ヶ月以内に、 NIH( 米国立衛生研究所)は遺伝子組み換え実験のガイドラインを発表することになっていた。これはアメリカの科学者たちが待ちに待ったもので、これ以後、科学者はインスリン・プロジェクトのような高度なクローニング実験をガイドラインにしたがって進めることができるからである。 ギルバートと エフストラティアディスがインスリン遺伝子を分離し、どのようにクローニングするのかをセミナーで説明していたちょうどそのとき、ハーバード大学とその地元ケンブリッジ市では、この実験を同大学の生物研でやっていいかどうかという大論争が勃発していた。

遺伝子組み換えに関する研究はどこまでいくのだろう。研究が進めば、ゼロから人間を作り出すような技術も考えられるところまで行くのにどれくらいの期間が必要だろうか。そうなった場合倫理的な問題がどうしてもつきまとう。がんの治療や難病に対する研究はどんどんやるべきだとは思うが、クローン技術やなんかはもうすでに生命倫理から大きく外れる行為といえよう。

遺伝子はDNAである

DNAはどのように働くのか?DNAは細胞の中のタンパク質や重要な物質とどうかかわるのか?これらの疑問に多くの科学者が分子レベルで答えを出そうと努力を重ねた。そして1953年、ついにDNAの二重らせん構造のモデルが ジェームズ・ワトソンと フランシス・クリックというふたりの若者によって発表されたのである。このモデルによって遺伝子の複製と転写が見事に説明できた。100年ほど前から生じていた遺伝についての疑問に、DNAの二重らせん構造は見事に答えた。このときに「分子生物学」という新しい学問が誕生した。DNAの二重らせん構造の発見以降、分子生物学の研究は、mRNAの発見、遺伝暗号の解明、そしてリボソームにおけるタンパク質の生産のしくみに移った。この分野でもワトソンとクリックが指導的な役割をはたした。

DNA検査で将来発病しやすいと思われる病気がわかる時代。ハリウッド女優が、乳がんの危険性を知り乳房を切除した出来事は記憶に新しい。僕はがんに罹患したらしたで仕方ないと思う。ほとんどの人間はがんで死ぬわけだし、それに抗っても仕方ないと。健康に気遣う生活は大切だが、それで発病したのだったらそれはそれで運命を受け入れようと思う。これが80歳になっても同じことを言ってられるかは微妙だが。

批判された歴史的な記者会見

科学の成果は、まず科学の世界で専門家(レフリー)によって審査され評価されねばならないというルールがある。要するに、このルールは、科学の専門家が素人を騙さないための自己規制である。だが、ジェネンテック社とCOHの科学者は、このルールにしたがわず、成果をいきなり大衆に公表し利益を得ようとした、という批判である。ジャーナリストは、科学者ほど厳しい質問をしない。彼らは、センセーショナルな記事を書いて、新聞や雑誌の売り上げや、テレビの視聴率を上げようとするだけである。だから、批判は妥当なものである。だが、この記者会見には、科学の専門家であるレフリーによって審査されて発表された論文では決して達成できない凄い効果があった。まず、無名のジェネンテック社の名前が世間で知られるようになり、リリー社という大製薬会社を惹き付けた。これは、スワンソンのビジネスプランにおける小さな一歩であると同時に、バイオテクノロジーの世界を切り開く大きな一歩でもあった。

iPS細胞の発見は衝撃を与えた。その後も研究資金を得て研究は続いているようだ。間にSTAP細胞なんていうニセモノも登場したが、進歩は著しい。僕が老人になる頃には間に合わないかもしれないが、悪い部位があったらそれをiPS細胞から培養した臓器で代替するような医療が一般的になるのかも。

遺伝子工学という神の領域とも思える学問における天才たちの戦いのドキュメント。今や巨大産業となった遺伝子の世界を覗いてみませんか。