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視野の上下が逆転する特殊なメガネがある。「逆さメガネ」だ。人間の知覚や認知を調べる実験道具で、このメガネをかけてしばらく慣らせば、普通に行動できるようになるという。それほど、人間の脳の適応力は大きいわけだが、この「逆さメガネ」をかけて世の中を、特に教育の世界をのぞいてみたのが本書だ。

早く大人になれと望まれる子供たち

いまの子どもは、早く大人になれっていわれているといってもいい。意識の世界は大人が作る世界です。その世界の中にさっさと入れと、子どもはいわれている。いつまでもお乳なんか飲んでる場合じゃない。そういう感じでしょ。だから幼児期というものは、「やむを得ないもの」になった。もっと明確にいうなら、必要悪になっているんです。子どもがいきなり大人になれるわけがない。でも、いきなり大人になってくれたら便利だな。親にしてみれば、どこかでそう思ってるんじゃないんですか。ところが田畑を耕して、種を蒔いてる生活から考えたら、子どもがいるというのは、あまりにも当たり前なんです。人間の種を蒔いて、ちゃんと世話して育てる。育つまで「手入れ」をするわけですが、稲やキュウリと同じで、それで当たり前です。そういう社会では、子育てと仕事との間に原理的な矛盾がないわけです。具体的にやることも同じです。基本は「ああすれば、こうなる」ではなく、あくまで「手入れ」なんですから。

子育て期間は誰しも大変な思いをするだろう。若くてエネルギッシュな親だからこそできるものだと思う。再婚など様々な事情で、高齢になってからの子育ては体力的にさらに大変。ある意味子育ても大切な仕事のうちの一つ。納税者たる国民を一人育て上げるわけだから社会貢献といっても良い。

「自然保護」

少子化から教育問題と、一貫して同じ問題が生じています。社会の中で似た問題を探すなら、それはいわゆる自然保護の問題です。子どもの問題は、自然保護の問題と結びついています。 「自然保護」なんて、本当はおかしな言葉ですよ。自然食品だって、同じです。自然を「いいもの」と決めつけているように思えるからです。自然には地震も台風も、冷害も豪雨も干ばつも、噴火も洪水も含まれています。それがどうして「保護」の対象になるんですか。その意味での自然は、価値中立です。だから自然科学は本来中立です。その意味でいえば、子育てもじつは中立です。でもいまの社会を前提にするかぎり、自然保護といわなければしょうがない。なぜなら社会の価値観が、自然とは反対の極、つまり人工のほうに大きく振れてしまったからです。それでは具合が悪いということは、多くの人が気がついていることです。そこで仕方がないから「自然保護」というんですよ。

長らく環境破壊が続き、様々なところでひずみができてきている。そんな地球で永続的に暮らすことは資源の面から見ても不可能。ならばなるべく長い間自然の恩恵に授かれるように、自然保護を訴えるのも、自然な流れだ。

「ああすればこうなる」

いまの若者にたき火をさせると面白い。まず薪を置く。それはいいのです。その上にたきつけ、さらには紙をのせて、火をつける。これでは薪の上で紙が燃えるだけです。仕方がないから、わかっている大人が燃えるようにしてやる。あとはいいかと思っていると、やがてたき火が消えちゃう。薪をくべることを、思いつかないというのです。ガスも電気も、薪をくべなくたって、いつまでも燃えてますからね。手順を踏んでものごとをする。そういう作業をした経験がないことは、これで明らかです。なぜか。なにごともボタンを押せばいいからでしょう。テレビの電源も、風呂沸かしも、飯炊きも、すべてボタンを押せば済む。いちいちそれを自分で手順を追ってやった世代が、こういう世の中で暮らすと、便利この上ない。しかしいまの子どもの生活は、初めからそうなのですよ。そこをよく考えてみてください。「ボタンを押せば、風呂が沸く」。これが「ああすれば、こうなる」という図式そのままだということは、よくわかるでしょう。そこには薪を置く順序を間違えると、火はつかないという、手順が欠けています。子育てこそ、そうした手順の典型ではないですか。ハイハイもまだできない子に、歩け、口をきけといっても、それは無理。でもたき火をしたことのないお母さんは、そのていどの強制を子どもにしているんじゃないんですか。

ボタンを押せば風呂が沸く。最近では、昔のように空焚きしてしまったり、お湯が溢れてしまったりという心配をしなくて良い。便利な世の中だ。そのせいか、当たり前だったことができない若者が増えている。黒電話とかも若者に渡して「電話をかけて見て」とお願いしても多分使い方がわからないだろう。その点最近の電子デバイスはよく考えられて作られているので、説明書なしに適当に触っているだけで使いこなせてしまう。

世の中を〈逆さメガネ〉で見てみると当たり前のことも本質が見えてくる。違った視座から物事を見ることは、どの年代の人々にも共通して価値あることだ。