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人生百年時代を生き抜くためのキーワード「トランジション」。実はトランジションとはとても仏道的な概念だった!悩める二〇代にMBA僧侶が現代に使えるトランジション的仏教思想を伝授。

自分が自由になりたいという執着からスポンと抜けた

SNSなどで、いわゆる「すごい人」っていますよね。そういう人のキラキラした投稿を見ると、胸がかきむしられるような思いを抱くことがずっとクセになっていました。「なんで自分はああなれないんだ。世間から評価されないんだ」と、頭の中は嫉妬の嵐が吹き荒れていたのです。承認欲求が強かったんだと思います。自分を責めて、原因を求める。今の自分を否定して、未来の理想化された自分しか受け入れることができない。そういうサイクルの中で生きるのはしんどかったです。ポジティブ!ポジティブ!ポジティブ!と拍車をかけていって、いつまでたっても今の自分自身は受け入れられなかったんですよね。そのサイクルから、スポンと抜けました。ふと気付いたんです。自分のことを見つめてみた時に、「どれだけ自分が自由になることを求めてきたんだ」と。「ほかの人たちが自由になっていくことを助けていけば、自ずと自由になっていくんじゃないか?」と思い始めたのです。

人間というものは知らず識らずのうちの色糸なものやことに執着しています。それを手放せば自由が訪れるというのはわかる気がします。苦を抜き、楽を与える「抜苦与楽」を心がければ自ずと自由が。ほかの人の苦しみを手放し、楽になっていくよう関わる。ほかの人のことを考えるあまり自己犠牲をして燃え尽きたりしてしまう必要もありません。ほかの人たちのために尽くす。これができている人はすごいと思います。もしそうなれなくても自他の抜苦与楽、特にほかの視点を持つようになれば周りとの関係も良好になっていきます。

夢がないといけないのか?

「何かやりたいことはある?」友達や先生、知り合いや同僚からこのような質問を受けることがあるでしょう。似たような質問でいうと、「夢は何なの?」という質問もあります。私はこのような質問が学生時代からとても苦手でした。自分が将来何やってるかなんてわからないのに、それを明確に答えなくてはいけないということにプレッシャーを感じてきました。質問されるたびに感じていたのは将来確固たる夢や目標を持っている方が優れているよね、という世の中の価値観でした。そんなもの気にせずに生活していればよかったのですが、将来やりたいことがある理想像の私とそれを持っていると言えない私とのギャップに悩み続けてきました。

僕もこの手の質問は苦手。将来の夢を語ることなど若い人の専売特許だという意識が強く、おじさんがそんなこと言うもんじゃないとか思ってしまいます。しかし世の中では、中年になってもやりたいことを持ち続け成功している方をたくさん見ていると、幾つになっても夢や目標は持つべきなのかとか考えて、プレッシャーを感じてしまいます。とりあえず今日明日の予定をきちんと立てることから始めてみよう、そう思うようになってから短期の目標の他にも中長期の目標も見えてきました。

お坊さんという仕事

お坊さんという仕事は、おそれの強い私にとってすごく良かったんだと思います。なぜかというと、「おれはこう思う」という話をしなくていいのですから。自分の話ではなく、「お釈迦様はこう言いました」「親鸞聖人はこう言いました」という話なのです。それは信仰心というよりも、納得感と言ったほうが近いように思います。「確かに、その通りだな。どんなに自分で考えてみても、とても辿り着るようなことじゃないな」と思えるからです。

確かに偉い人の言葉というものは説得力があるので依存できます。僕が本を読み始めたのも、本を書くような知識豊かな人の知恵を拝借するため。そこには無限に広がる知識の海が存在します。最近でこそ本を出版するのにハードルは下がりましたが、出版社を通して出版する場合ある程度フィルターを通しているないようなので、全く役に立たないほんというのは少ないように感じます。中にはどうしようもない本もありますが、そこは自分ならそれ以上のものを書けるかと自問して、僕よりましという結論に達します。

「たられば」は妄想でしかない

「〜たら」とか「〜れば」は全部嘘、というとちょっと言い方がきつすぎるかもしれませんが、でも仏教からすれば、「〜たら」とか「〜れば」は、全部条件なんですね。「もし何々が得られたら幸せになれたはずなのに」などは全て仮定の話、妄想だから、本当は聞く必要もないのです。

そうはいっても宝くじを買って当たった時のことを妄想したりするのは楽しいものです。確率を考えると砂浜で一粒の砂を拾うようなものなのでそこは考えずにww

何があっても生きていける強さを身につける本。ストレスの多いこの世の中を渡っていくための自己変革をもたらしてくれます。どう生きるかを考えてみると、案外身近な悩みはどうでもよくなるものなのかもしれません。