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人気絶頂の最中、突然芸能界から姿を消した一人の芸人──。「タモリのボキャブラ天国」「進め!電波少年インターナショナル」など人気番組にレギュラー出演していたお笑いコンビ「松本ハウス」は、ハウス加賀谷の統合失調症悪化により、1999年活動休止。その後入院生活を経て症状を劇的に改善させた加賀谷は、10年ぶりの芸人復帰を決意する。相方・松本キックの視点を交えながらコンビ復活までの軌跡が綴られる、感動の一冊。

グループホームの時間

グループホームでは、個人のスペースはなかったが、個人の時間は尊重されていた。決められた時間内ならいつ外に出てもよかった。新しい本が欲しいと思えば、自分の足で買いに行けたし、スタッフさんの許可も要らなかった。お昼が近づくと、手が空いて動ける人は、昼食の準備を手伝った。近所のスーパーまで買い物に行ったり、卵を割ったり、たまねぎをみじん切りにしたり。単純な作業しかできなかったが、それすら経験のないぼくには楽しくて、よく手伝っていた。

僕は入院こそすれ、グループホームは未体験。祖母が認知症でグループホームに入所していたので、どんなところかは想像がつくが、入院よりは自由のきく場所なのだろう。グループホームに長い間いると外の世界に出るのが怖くなるという。僕は自宅療養だがいまだにこの傾向が強い。いつ発作的に行動不能の思考停止状態になるかわからないのでなるべく刺激に少ない場所を選んで外出するように。

簡単なことはするな

当時のぼくはすでに、病気をカミングアウトし、ネタにもしていた。だが、それは、プラスの面だけではなかった。芸人が集まる楽屋などで、「加賀谷はきちがいだから」と、シャレで言われる分には笑って済んだ。愛情があって言ってくれる分には許せていた。でも、そうでない人も中にはいた。思いすごしではなく、ぼくはその差を敏感に察知してしまう。「やっぱりぼくのことを、頭がおかしい人間としか見ていないんだ」と気づき、落ち込むこともしばしばあった。落ちたところから再浮上するには、結果を出すしかない。みんなに笑ってもらうしかない。お客さんやスタッフさんの前では、いくらでもおどけることができた。お笑いで期待に応えることこそ、ぼくが生きている唯一の証しだったのだ。大嫌いな自分を認めてほしいから頑張る。頑張ると評価され、認められていく。認められるほど、自己否定は強大になっていく。この悪循環が化け物となって、心に巣食い、夜も寝かせてくれない。ぼくは、最悪への道を歩んでいた。

僕も病気をカミングアウトしているので、それを知ってブログを閲覧してくれる人もわずかだがいるようで、Instagramのフォロワーの一部はメンタルを病んでいる人や家族に精神疾患や発達障害の人を持つ人もいる。ぬるま湯と言われればそうかもしれないが、症状が悪化すれば周りに迷惑がかかるので‥‥

初めての閉鎖病棟

二〇〇〇年一月十三日、午後一時。古びたコンクリートの建物が、ぼくの前にでんとあった。もっとも具合の悪い、急性期の患者が入る、精神科閉鎖病棟。ここに入るのか。それ以外に何も思わなかったが、病棟を目の前にして、ぼくの足取りは停止してしまった。空から落ちてくる真っ白なぼたん雪が、傘を持たないぼくに降りかかっていた。大きな雪の結晶は、ぼくの肩に止まり、美しい輝きを見せたかと思うと、幻のように消えていった。映画のワンシーンみたいだ。まるで人ごとのように、ぼくは自分を見ていた。この時の感情を、今も思い出せない。そもそも思い出せるだけの感情が、なかったのかもしれない。付き添ってくれていた母さんにそっと促され、ぼくはまた歩き出した。男性看護師さん二人の先導で閉鎖病棟に入り、エレベーターに乗った。 階数を示すランプが「4」で止まり、扉が開く。目の前に高さ二メートルほどの灰色の壁。右手も灰色の壁で、上のほうに窓。ぼくが進む左手には、まるで世俗を拒むように、緑色をした鉄の壁がそびえていた。鉄の壁には扉がついていて、左側にインターフォンがあった。看護師さんの一人がインターフォンで何かを伝えると、内側からガチャガチャという鍵を開ける音が響いてきた。鉄の扉が静かに開く。看護師さんが中に入り、ぼくと母さんもそれに従う。廊下を歩いていくと、左手に入院患者が集える共有スペースと喫煙所があった。そこにたむろしていた何人かの患者さんがぼくに気づく。 「あ、ハウス加賀谷だ」  それまで動かなかったぼくの感情が一瞬だけ動いた。 「ぼくは、もうハウス加賀谷じゃないんですよ」何に反論したかったのかは定かでない。あの時は、自分が何者なのかも分からなくなっていた。ぼくは、人の形をした「ぬけがら」だった。

僕は閉鎖病棟の中の保護室に二度ほど入ったことがある。鉄の扉に簡易トイレとベットがコンクリートの打ちっぱなしの部屋にあるだけの殺風景な部屋。最初は入院を拒んだため医療保護入院となったからで、2回目は個室に入院していたが幻聴が聞こえ、持っていたCDをバッキバキに割ってしまったため、鋭いCDのかけらで自傷する恐れがあったからとみられる。

有名人の統合失調症患者は意外と多いようで、休養を取っていると報じられた芸能人の中には統合失調症で入院していた人も多くいる。僕の入院していた病院にも過去に芸能人が入院していたと噂になっていた。もちろん個室のVIP待遇で。統合失調症とはどういう病気か、精神科の病棟とはどんなところかが書かれており、入院が不安だという人も読んでもらえば意外と普通なことがわかるだろう。保護室は独房と呼ばれていたがww