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その急増が国を揺るがす大問題のように報じられる「ニート」。日本でのニート問題の論じられ方に疑問を持つ三人が、各々の立場からニート論が覆い隠す真の問題点を明らかにする。「ニート」言説という靄(もや)が二〇〇〇年代半ばの日本社会を覆い、視界を不透明にしている。この靄の中で日本社会は誤った方向に舵(かじ)を切ろうとしている。「ニート」言説は、一九九〇年代半ば以降ほぼ十年間の長きにわたり悪化の一途をたどった若年雇用問題の咎(とが)を、労働需要側や日本の若年労働市場の特殊性にではなく若者自身とその家族に負わせ、若者に対する治療・矯正に問題解決の道を求めている。もう我々を惑わす「ニート」という言葉は使うべきではない。

ニート論が語り出されてから‥‥

この「ニート」という言葉そのものは、二〇〇三年ごろから、当時の日本労働研究機構、今の労働政策研究・研修機構(以下、JILと略記)の報告書などの中で、ぽつぽつと現れ始めていました。「ニート」という言葉をおそらく日本で最初に使ったのは、いずれも二〇〇三年三月に刊行されたJILの報告書、『諸外国の若者就業支援政策の展開──イギリスとスウェーデンを中心に』(資料シリーズ № 131)および『学校から職業への移行を支援する諸機関へのヒアリング調査結果──日本におけるNEET問題の所在と対応』(JILディスカッションペーパーシリーズ03‐011)だと思います。前者はイギリスの若年雇用政策の事例を紹介したもの、後者はイギリスと同様の「NEET」問題が日本国内にも存在するという関心に基づいて、若年就労支援機関の活動について報告したものです。このように、もっとも初期には、地味な調査報告書などの中だけで、かつアルファベット表記で使われていた「NEET」という言葉が、「ニート」とカタカナ表記に変換されるとともに日本じゅうに広まることになったのは、二〇〇四年に入ってからでした。

今ではすっかり浸透してしまったニートという言葉。この間テレビで留学生が卒業後に求職している状態で、僕ニートですからなどと言っていて、外国人留学生にまでこの言葉が浸透していて、その使われ方はもはや定義を無視して一人歩きしている感もあるように思えた。

「ニート」を量で把握

「ニート」を「量」として把握しようとする場合、その操作的な定義が必要になります。本章の冒頭で述べたように、日本で「ニート」とは通常、一五~三四歳の若者の中で、学生でない未婚者でかつ働いておらず、求職行動もとっていない人を意味します。そこに、主に家事に従事している者を含むかどうかについて、政府内でも定義に揺れが見られます。先述の通り、内閣府の「青少年の就労に関する研究会」では家事従事者を「ニート」に含み、厚生労働省の『労働経済白書』では家事従事者を除外しています。このような操作的定義を用いて「ニート」数を推計した結果からわかることをひとことで言えば、「ニート」と呼ばれる若者は、世間でイメージされているほど増えていないのです。やや増えてはいますが、若年失業者やフリーターの増加の仕方に比べれば、「ニート」の増え方ははるかに穏やかなものなのです。つまり、「ニート」のような若者は、ずっと前から日本社会の中に連綿と一定の人口規模で存在していました。いつの時代でも、若者のすべてが働いていたわけではなく、仕事をしていない状態の若者が社会の中で生きていたのです。それはいわば、社会のあり方として自然な状態だったといえます。

ニートという言葉が定着したのはここ十年だが、昔からそういう定義に当てはまる人は多くいたのだと思う。地主の息子とかで遊びまわっていたり、僕の母型の親戚には、塩田のオーナーで、戦後塩が不足する中、闇市なんかで塩を売りひと財産築いて、遊びまわっていた息子もいたそうだ。これも今でいえばニートそのもの。今に始まった事ではない。一方僕の場合年齢がニートの定義から外れてしまうので、一時期ニート卒業とかうそぶいていた時期があった。実際は精神障害者の無業者はニートに入るのかどうかわからない。調べてみるとこのニートの年齢から外れた34歳以上の無業者が意外と多いのではないかと思う。

一人遊びをする子が増えたことによる弊害か?

一人っ子が増えたのと同時に、テレビゲームやインターネット、携帯メールなどでひとり遊びをする子どもも増加した。それを受けて、人間関係を煩わしく思う子どもが増えてきている。対人能力を養わせるためにも、小さいうちは、ゲームやネットに没頭させないようにし、人と接したりすることの楽しさを教えてあげられるようにしよう。(『旬なテーマ』二〇〇五年一一月号、一六〇頁)と書かれている。また、浅井氏も、先の著書でこのように述べている。家の中にいて家族といっしょに食事をしていても、携帯電話でメールをしていたりしています。レストランなどでも、前にいる友達とちょっと会話が途切れてしまった時にはケータイメールで外の友達とつながっていたりします。……親の意見より友達の意見を優先するのも、こういう実体験をともなわないバーチャルの中で生きている人の特徴です。だからこそ、だんだん疎外されて社会に出るのが怖いというようになっていくのでしょう。(浅井、森本、前掲書、一九頁)

僕の学生時代はゲームとともにあった。趣味の似通った人とは上手くコミュニュケーションが取れるが、それ以外の人とはあまり接触するのが上手くなかったように思う。それが歳を経て精神を病むことになった。

ニートって言葉はマイナスイメージがつきすぎているし、カテゴリーとして曖昧すぎるので、一旦使うのをやめたらどうかという案。精神を病んだり、フリーターが過酷な労働を強いられたりして、正社員だけ会社に守られる社会はもう終わりにしないと、無業者は増える一方だと思います。無駄に稼いでいる上位1%の人から累進課税で多く税金を取りベーシックインカムを導入すれば、生活保護なんかよりよっぽどもらいやすい(皆に平等に行き渡るのだから)。ニートなんて言葉なくなればいいのに。