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インターネットをはじめとする情報技術がメディア産業に与える影響を紹介した一冊。米国在住のジャーナリストである著者が,足で稼いだ最新動向をまとめた。著者は「インターネットの普及によって,あらゆる企業や団体が『情報提供者』になり得る」という認識に基づき,メディアの将来像を分析する。例えば活字メディアに関しては,「インターネットに慣れ親しんでいる人が増えれば,新聞に代表される活字メディアの購読者数は減少する」と指摘。テレビに関しても,「プロ・スポーツの試合中継など魅力的な番組は,試合の運営組織がブロードバンド・ネットワークを利用して自ら放送するようになる」と予測する。

オンライン化は必然の流れ

二〇〇一年五月にマサチューセッツ州のリラ・リサーチが千三百人のインターネット・ユーザーを対象に実施した聞き取り調査がある。それによれば「日々の情報源として最も活用しているメディアは何か?」という質問に対し、全体の約六六%が「インターネット」と解答した。「(紙の)新聞」と答えた人の大半は。年齢四十五歳以上だった。「もし、今より多くの余分な時間があれば、どのメディアに時間を割くか?」という問いに対しては、「インターネット」が四六%と最も多く、続いて「テレビ」が二九%、「本」が一一%、「新聞」が五%、「雑誌」と「ラジオ」がそれぞれ三%だった。これは直接的に「共食い」を示す結果ではないが、人々のメディアへの嗜好が徐々にインターネットへと移行していることを示唆している。調査対象の母集団が「インターネット利用者」であるため、これが全体的な傾向であるとは断言できない。しかし、この母集団が比較的若い年齢層とオーバラップしていることは間違いなく、その点で将来を暗示する結果と見ることもできる。インターネットは現在のところ、「紙の新聞やテレビに次ぐ副次的なメディア」と言って構わないと思うが、上記のような結果を見ると、「今後とも、そうである」と断定することはできない。実際、求人情報などクラシファイド(短い告知広告)には、明らかに、新聞がインターネットに食われる傾向が出ている。同じ調査では、「求人情報を探すためには、新聞よりもウエブを活用している」との回答が全体の三二%に達した。また不動産情報に関しては、「ウエブを活用する」との回答が五九%と「新聞を活用する」との回答(三七%)を上回った。

ネットが便利とわ言っても我が家ではまだ紙の新聞も購読している。新聞には一覧性という武器があり未だ中高年にとっては欠かせないメディアだ。しかし、自分の興味の対象に関する記事を探すにはニュースアプリやなんかが便利だ。僕はニュースアプリ(グノシー、SmartNews、カメリオ)とfeedlyをメインに使っている。たまに興味のある記事があると日経電子版をチェックすることもある。紙の新聞はというと、ほとんど書籍の広告ぐらいしか読まない。読書が趣味な僕にとっては、どんな本が売れてるのかは気になるところだ。情報洪水を泳ぎきるためには、取捨選択を素早く済ませることが大事になってくる。

やっぱり最強のメディアはテレビなんじゃないのか

テレビは史上最強のメディアである。「テレビなんか、つまらない」と普段、これを見下している人でも、いざ大事件が起きると、受像機の前に釘付けになる。嵐のようなインターネット・ブームが過ぎ去った後、改めてテレビの持つパワーが見直されている。現在のネット上のストリーミング技術では、地上波テレビやケーブルTV並みの放送品質を実現するのが難しい、ということがわかってきたのだ。鮮烈な視覚情報を瞬時に、数千万人の人に送り届けることができるのは、今のところテレビ放送だけである。

若い人の中には、テレビを見ていることを良しとしない風潮でもあるのか、「ああ、僕テレビ見ないんで‥‥」なんてことを言う人がいるが、流行りのドラマとかがあるとしっかり見ていたりするのはなんなんだろう。情報はネットでと言う世代にとってテレビは過去の遺産として捉えかっこ悪いものの一つであると言う認識なのか?確かに、ネットだとテレビでは放送できないような、とんがった番組を配信するチャンネルも多いが、はっきり言ってすぐ飽きる。僕も一時期ネット視聴をしていた時期もあったが、すぐに飽きてテレビに戻ってきた人の一人だ。中には作り込んでいる番組もあるが、どうしてもクオリティに偏りがあるような気がする。面白いものは面白いのだが。

ウェブ上の一般ニュースには基本的に皆お金を払わない。しかし特殊な業界のニュースやなんかにはお金を払っても良いと言う人も多いのではないだろうか?あとは広告。目障りな広告を見ないで済ますには無料版アプリから有料版へといった誘導も多い。一定のフォロワーを有する専門家の中にはオンラインサロンで情報発信する人も多い。自分がどのような情報を求めているのか、それにいくら払うのかと言うことは情報の取捨選択能力を磨く上で一つの物差しになり得るのではなかろうか。