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11月11日に80歳の誕生日を迎える養老先生が、「考える」ことを始めたのは小学4年生の頃でした。以来70年以上、「脳」と「身体」の関係をとことん考え抜き、「今を生きる」ためにどうしたらいいのか、わかりやすく、おもしろく、書き下ろして伝えています。これだけは言っておきたかった――80歳の叡智がここに!私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生!

動物は絶対音感の持ち主

ある日、本を読んでいて、愕然とした。調べられた限り、動物は絶対音感(他の音と比較せずに、音の高さがわかる能力)の持ち主だと書いてある。長年の疑問が一度に溶けたような気がした。私の声は低い。家内の声は高い。私と家内が違う高さの音で「まる」と呼ぶ。まるはわれら夫婦が「別な音を出している」と思っているに違いない。声の高さが違うなら、違う音ですからね。

僕の母がたの祖母の家では2匹の猫を飼っていたが、長年一人暮らしの祖母と過ごしてきたせいか、どうも男性の低い声がすると逃げていってしまう。なので、その愛くるしい姿を拝めるのは女性限定ww 餌を食べている時でさえ警戒していて、なかなか姿を捉えられない。

一方、人間はどうだろう。人間の耳は音の振動数を捉えるようにできている。カタツムリと呼ばれる伸ばすと円錐になる部分には、細長い三角の膜が入っていることになる。鼓膜から伝わった音はこの膜を振動させる。細長い三角膜は、音の高さにより、その一部を振動させ強振。膜の細部が細かく違っているのは、違う振動数の音では、膜の違う部分が共振するような作りになっているから。ならば、同じ振動数の音が聞こえれば、いつも同じ部分が振動し「同じ音だ」と認識できるはず。つまり、人間は構造上、絶対音感が備わっていても良いのではないか。

より動物的な赤ん坊の時にはあったはずの絶対音感が、大人になって「わからなくなった」と考えることもできる。広く一般には、小さい時から楽器などを習わせておかないと絶対音感は身につかないと言われているが、実際は赤ん坊の時からみんなにあった絶対音感は、楽器など音に触れる訓練をしていないと失われると考えるのが自然なのかもしれない。

役に立たないものの必要性

我々の意識は、多くの場合、感覚所与を直ちに意味に変換してしまう。「焦げ臭い」から「火事じゃないの」という判断にただちに移行する。そうなると、それまで「その匂いがしていなかった」ことは忘れられてしまう。「匂いがなかった」状態から、「匂いが存在する」状況に変化したことは意識せず、焦げ臭い(感覚所与)=火事(意味)が意識の中心を占めてしまう。一般的にいうなら、だから「意味のない」感覚所与を無視することに、多くの人は意識的ではなくなるのである。それがヒトの癖、意識の癖だといってもいい。

幼い頃に隣の家の火事に遭遇した僕は、今でも鮮明にその匂いを覚えている。風呂を空焚きしてことによる引火が原因だがこの匂いが独特で、ただ焦げ臭いだけではなくガスの匂いも混ざったものとなっている。今でも近くで同様の火事があると匂いで一発でわかる。火事の際、慌てた僕は一度屋上に出てもう一方の階段から降りて避難したのだが、なかなか降りてこないので、みんなが取り残されているんじゃないかと心配をかけてしまった。そうとは知らずしれっと登場した僕ww

人はなぜイコールを理解したのか

まず結論からいこう。動物の意識にイコール「=」はない。小学校の算数で3+3=6などと習う。この時に「=」という記号を覚えたはずである。これがわからない人はほとんどいないであろう。この程度の計算なら、チンパンジーだって簡単にできる。でもそれができるからチンパンジーが「=」つまり等号を理解しているかというと、実は理解していない。私はそう考えている。(中略)a=bならば、b=aである。これが動物にはわからない。わからないと私は思う。これを数学基礎論では交換の法則という。法則じゃなくて、当たり前じゃないの。そう、あなたはヒトだから、交換が当たり前なのです。動物は交換を理解しませんよ。猫がキュウリをくわえて、サルがウサギの死んだのを拾ってきて、あそこの市場で交換していた。そういう状況を見たことがありますか。

こうした交換が全ての動物で可能になれば、生態系はもっと豊かになるだろう。文化人類学者のレヴィ=ストロースは、「人類社会は交換からはじまる」といった。唯一交換の文化が根付く人間社会は、それを伴わない他の動物たちと共存するためには、絶滅危惧種の保護や、食料となる動植物の乱獲を制御し生態系を守っていく義務がある。猫に一万円札をあげても少しクンクンしてそっぽを向くのが常識。価値を同じくするものが、動物の世界ではあまりないのだと。

雑学好きにはたまらない、知っていてもあまり役に立たないかもしれない知識が得られる書籍。「人はなぜアートを求めるのか」「社会はなぜデジタル化するのか」など素朴な疑問に一つずつ答えを出していきます。