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新安保法制が施行され、自衛隊員の「戦死」がいよいよ現実味を帯びてきました。入隊にあたって、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務める」と宣誓してきた隊員たちは、命令一下、「死地」に飛び込むことが求められます。国に命を捧げた男が考える「この国のかたち」とは?

海上警備行動発令

一八ノットで追いかけながら、しかし、どういうわけか、工作母船との距離が離れていくような気がしていた。あんな木造漁船が一八ノットに急加速できるわけがない。だが、距離が離れている気がする。そんな時にまた、工作母船は、大量の黒煙を噴き上げた。さらに増速しようとしている。私は、そっちがその気なら、一〇万馬力の威力を見せつけてやろうと思った。というより、自分が見てみたかった。長年、海上自衛隊で勤務してきたが、一〇万馬力のエンジンを全速航行させた経験のある者なんか聞いたことがない。「艦長、奴の前に出ます」「よおし、行け、行け、出ろ!」艦長は、全身からアドレナリンを溢れさせながら、右手を二回続けて前に振り下ろし、、前方を指さしている。私は、全力航行させるための号令をかけた。「さいだいせんそーく(最大戦速)」下士官が復唱しながら、ガチャン、ガチャン、ガチャン、ガチャンとスロットルレバーを前に倒し込んだ。その瞬間、一〇万馬力が一気に推進力に変わり、立っていた私は後ろに倒れそうになった。空ぶかしをしている車のエンジンに、一気にクラッチを繋いだような衝撃だった。艦はあっという間に工作母船を追い越し、相手の左船首を抑えるような位置についた。

巡視船から威嚇射撃の連絡が入り、パラパラと上空に向けて明らかに小さい口径のものが打ち上げられた。これは試射で本射が始まると思っていたら、「威嚇射撃終了」との連絡。威嚇というにはあまりにもぬるいものだった。その後、燃料に不安があるという理由で帰投。海上警備行動発令がされない限り、自衛官に工作母船に乗り込む権限はないのだ。その権限を保有している海上保安官が平然と帰ってしまうのに疑問が。

特殊部隊創設

何人分もの業務を一人でこなさなければならないということは、自衛隊ではよくある話だ。だがそれは、「絶対的な結果」を求められない自衛隊だからできてしまうのである。喩えるなら、それまでの自衛隊は、試合をすることのないプロ野球チームのようなものだ。形ばかりならリーグ優勝を目指しているように整えることもできる。しかし、今回は、求められるものがまるで違う。あの日、日本人を連れ去っていく最中だったかもしれない北朝鮮の工作母船が目の前にいて、海上警備行動が発令され、警告射撃を行い、日本人を連れ戻すために乗り込もうとした。その結果、逃げられた。日本人が目の前で、まさに目の前で連れ去られたかもしれないのだ。これは歴史で習う溶暗出来事でも、仮定の話でもない。ついこの間、私の前で起きた現実なのである。だからこそ創設する特殊部隊だ。

訓練は行なっている、それもかなり厳しい訓練が課せられる。しかし現実問題、実戦となると問題も多い。だからこそいざ戦闘となった時のための特殊部隊の創設が必要だったという。特殊部隊創設には色々と苦労もあったという。成功したことの一つとして、米軍の息がかかっていなかったことが大きい。米海軍特殊部隊SEALsに留学してノウハウを学ぶことも提案されたが、実際は行われなかった。留学は手っ取り早いが、どうしても他国の匂いがしてしまうのを嫌ってのことだろうか。完成品を見てしまうとどうしても模倣から入りがちだからだという。

この国のかたち

「あなたの国の掟は、誰が作ったの?」「‥‥」「あなたの国に本気で生きる気のある人が作ったものでなければ、その土地に合うわけがないのよ。あなたの国に元々あった掟はどうしたの?」「‥‥」「掟はなかったの?それとも、使えないほどくだらないものだったの?」「あったし、くだらないものではない」「太平洋の向こうの奴がつくったものより駄目なものだったの?そんなものしか、あなたの祖先は残してくれなかったの?」「そんなことはない‥‥」私は、蚊の鳴くような声でなんとか答えた。「なんで、アメリカの掟がそんなに大事なの?何があるの、どんないいことがあるの?」

敗戦後GHQの元、草案がもたらされた日本国憲法。安倍政権はこの憲法改正に意欲を燃やしている。与えられた憲法では国を守れないと感じる事件や紛争が最近増えている。能登半島沖不審船事件をきっかけに、日本にも特殊部隊が必要不可欠だと痛感した著者。日本はどんな国なのか。この国の何を守らなければならないのか。国民一人一人が考えるよう促すのが一連の憲法改正議論だ。もしかしたら、改憲によって、紛争に巻き込まれる頻度が増すかもしれない。その時どうするのかまで考える義務が僕らにはあるのだろうと考えさせられた。あなたはこの国のかたちが見えていますか?