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日本の「戦後」認識にラディカルな一石を投じたベストセラー『敗戦後論』から20年。第二次大戦に敗れた日本が育んだ「想像力」を切り口に、敗北を礎石に据えた新たな戦後論を提示する。日本は今こそ敗戦と向き合え!

目を合わせないこと、曖昧に笑うこと

相手の目をしっかりと見て構築される論理、ものの考え方、感じ方がある。けれどもそのようなしっかりした建築物の周辺には、曖昧に笑ったり、にやけたり、ちょっと伏し目にしたり、猫背気味に背をかがめて歩いたりする人々の論理、考え方、感じ方が、拡がっている。そういう国々と社会がある。そういう国や社会の人びとは、だいたいは、他の国に攻め入られた過去をもっていたり、他の先進国の植民地にされた歴史を背後に抱えていたりする。

曖昧に笑ったり、にやけたり、ちょっと伏し目にしたり、猫背気味に背をかがめて歩いたりする人々。まさしく僕ではないか。大学からのドロップアウトや、職場からの逃走。僕の人生半ばからは敗戦の歴史とも言えるべき出来事が数多くある。今朝もいつも通り、朝食をとりに、カフェへいったのだが、読書の妨げとなる声のでかいカップル来店で一日がスタートした。このうるさい客はどんな顔をしているのかと見てやろうと、帰り際店のガラス越しにカップルに目をやったのだが、そこで男性の方と目があった。すると勝ち誇ったかのような笑みを浮かべているではないか!?

いわれのない敗北感を味わいながら、なんだかドヤ顔でMacBook開いてるなんて可愛いもんだと思った。僕にとってカフェでうざいのは意識高い系ではなく大声で程度の低い会話をするカップルやグループ客。こういった相手には、なるべく目を合わさない方が精神衛生上よい。うっかり目を合わせてしまうと今朝のような出来事が起こる。一人で来店するよりも、複数(特にカップル)で来店する方が偉いとでも言いたいのか、声がでかいのは何のアピールなのか?(同じカップルでも、マナーの良い客は声のトーンを落として会話しています)

「不気味なもの」から「かわいいもの」

「不気味なもの」を、日本社会にとって無害な、むしろ「かわいい」存在になるまで、飼い慣らし、馴致することが、その後、日本の文化を駆動する一つの導因となる。その「不気味なもの」から「かわいいもの」に向けての逃走の切実さが、「ハローキティ」をつくり、「ポケモン」をつくり、というように、あれほど多くの「かわいい」アイテムの出現をその後の日本文化に促すのである。

悪魔の類を飼い慣らして戦う女神転生シリーズやペルソナシリーズなどもこれに該当するだろう。戦後の性ともいうべきものの枯渇が日本社会を覆うようになり初めて、日本人はゴジラを無害化する必要から解放される。ゴジラは退場し、代わりに「かわいい」ものが席巻する。見渡してみれば日本は「かわいい」ものに取り囲まれ、それこそが日本文化輸出の主体となっている。ちょっと前にPokemon GOが流行ったが、ブームは収束し今ではやっている人を見かける方がレアな状態に。スマホゲームは流行の移り変わりが早く、コミュニケーションのためのツールとして使っている人もいるようだが、元ゲーマーとしては、ハマる要素が一切ない。課金というシステムと無尽蔵に時間を消費するデメリットから、敬遠している僕。

勝者と敗者の弁証法

哲学者ヘーゲルは、『精神現象学』でこう述べている。人間は互いに他人に自分を認めさせようとして戦う。その結果、命を捨てる覚悟で戦うものが、命を惜しむものを破って勝者=主人となり、死ぬ勇気のなかった方は敗者=奴隷となる。しかし、このヘーゲルの主人と奴隷の弁証法には続きがある。主人は、それから奴隷に働かせ、自分は安逸に過ごす。主人が主人であるがためには奴隷からの承認が必要だが、相手がおとしめられ、弱体化していくと、その相手=奴隷からの承認のインパクトもだんだんと弱まる。主人は世界から遊離する。やがて物心両面で、依存が深まる。そして、彼は奴隷なしには存在できなくなる。他方、奴隷は主人がいなくとも自立している。彼は自然を相手に汗水流して労働するが、やがて自然に働きかけ、主人よりも広い世界を相手に全くこれまでにしなかった経験をする。世界との結びつきは深まり、自分も鍛えられ、強くなる。その結果、奴隷はいよいよ自立度を深め、両者の関係は最後には逆転する。

僕は病気(統合失調症)が発病してから、哲学の本から何か得られるものはないかと思い、『精神現象学』を読んでみたが、さっぱり内容がわからなかった。『精神現象学』を読むための入門書を買って読んでみたが、さっぱりわからないのは変わらず。機会があったらまた読もうと思いブックオフに売らずにとってあるが、埃がかぶってます。

鶴見俊輔、吉本隆明、山口昌男、大江健三郎からカズオ・イシグロ、宮崎駿、『シン・ゴジラ』まで、敗北と向き合い、そこから得られる想像力について考える類を見ない書籍となっております。