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家族の病理を鋭く描き出した『家族という病』がベストセラーとなった著者にとって、初めての「若者論」。「お金」「恋愛」「組織」「感性」「言葉」などの多様な観点から「若者とは何か」を考察。我が子や部下が理解できないという親上司世代にも、目から鱗のアドバイスを贈る。

孤になって他人と離れてみる

自分を客観的に見るには孤になって他人と離れてみなければならない。「個性の個の字は、孤独の孤の字」とつねづね言っている。孤りになるところから孤は育ってくるはずだ。誰かと連なって、仲間外れを怖れ、一緒に行動する、その気味悪さに気づかず、同時に、同じところで笑う。彼らは外界しか気にしていない。自分の内側に深く降りていって自分とつきあい、自分を知る勇気に欠けている。

バラエティ番組などを見ると観覧に来た客がタレントの面白発言に同時に反応し大声で笑うのを目にする。同じネタや話題でも人によって面白いと思うポイントは違うと思うのだが、彼らは一斉に笑う。これも「仲間外れを怖れ、一緒に行動する」若者特有のものだろうか。孤りになると孤は育ってくるというが、これは年齢を重ねることでも自然と得られるものではない。社会に出て見るとわかるが会社という組織にしがみついて離れない大人が案外多く、家に帰っても家族がいる。そういった人がリストラされ奥さんにも逃げられたりすると目も当てられない。孤が育ってないからだ。現代社会での様々なリスクを考えると、あえて孤となる時間をもうける必要がある。

子供が巣立って、あまりの淋しさに動物を飼い始める人。僕には子供がいないのでその気持ちはわからないでもない。しかし、「子供がいなくてさぞかし淋しいでしょう」という問いかけには最初からいないので淋しく思う気持ちも生まれないというのが本音だ。ペットの飼えるマンションだったらマンチカンでも飼ってみようかという気にもなったかもしれないが(本当は犬派だが、アレルギーがあるので飼うことができない)それも叶わないので最初から選択肢にも上がらない。人恋しくなったらカフェにでも行けば多様な人々の中で飲食できるのでオススメです。

抵抗せずとも個を強く持て

今は昔に比べ、一見、自由に発言できる時代になったように見える。しかし目に見えない壁がひたひたと押し寄せてくる雰囲気を感じ取っている若者や市民たちは増えている。

SNSで気軽に自分の意見を投稿できるようになり、情報も雑多な時代。一見自由な発言を許されるような時代に見えるが、そこには圧倒的多数な監視の目がある。僕は影響力の薄い人間なので何を発言しても大した反論はない。しかし、SNSのフォロワー数が多い人なんかは不用意な発言が槍玉に挙げられ、炎上するなんていうのはよくあること。しかし炎上の仕組みを見てみると①着火=紛糾しそうな話題②引火=燃料になりそうな要素③注目=オーディエンスなどが集まってくる。およそ100万人ぐらいの人間がその人の周辺情報を洗い出し、すぐに丸裸に。それが怖くて発信する際も細心の注意を払わなければならず、なんだか窮屈な世界となっている。

草食系男子に肉食系女子

「草食系男子に肉食系女子」という言い方がある。女が徐々に力をつけ、自信を持って仕事にプライベートに自分らしく生きているのに、男は、ひよひよなよなよとして、姿形には気を使うようになって来たが、なんとなく頼りない。女が女子会といって女ばかりで集まったり、恋もしにくくなっている一つの理由は、男たちの頼りなさにあるのかもしれない。

僕はまさしくこの「草食系男子」一時期「ロールキャベツ系男子」だった時期もあったが、今ではすっかり消極的に。自分に自信があればそんなこともないのだろうが、とにかく自信がない。精神障害者で無職、収入も自分が生きて行くぐらいしかない。こんな状況で肉食系になれというのが無理な話。世の中には、働かず、ギャンブルに明け暮れているのに連れ合いがいるなんていう剛毅な人もいるが稀な例だろう。

挫折を知らない人の危うさ

挫折を知るとは、自分の本質を知ることと重なる。挫折したとき、人は初めて自分の心の中をのぞく。それを入り口にして、自分の中へ降りはじめる。結果として自分の弱さを知ることになり、物を考えはじめる。自分の心と対話して、正直に自分を見つめようと努力するのだ。そこから想像力が生まれてくる。他への想像力が‥‥。私自身は、子供の頃病気だったせいもあって我が儘に育ってしまった。他人と交わらず、自分の世界だけで完結して不思議に思わなかった。

仕事や恋愛で挫折を知り、病気にもなった僕だが(これも挫折が大きな要因だったと思う)、思春期は比較的我が儘に育った。中学校では部活でレギュラーを降ろされ腹を立て幽霊部員になったり(その後、チームは全国大会へ駒を進め、続けておけばよかったと後悔ww)。挫折によって諦めるかどうかが重要だということに諦めた後に気づく好例だ。

戦うことを放棄し諦めるとその先には何も待っていないと自分に言い聞かせ、せっかく始めたブログなので続けようと思います。