book00278

「哲学」と聞くと、名言で有名な昔の哲学者を思い浮かべたり、現実には役に立たないものといったイメージを持つ方が多いかと思う。本当のところ、現代において、世界の哲学者は何を考えているのだろうか。スマホやSNS、AIやIoTといったIT革命、そして遺伝子操作によるバイオテクノロジー革命、そして資本主義は21世紀でも通用するのか。さらには人類が宗教を捨てることはあり得ないのかといった問題や環境保護論まで、哲学者が何を考えているかがわかる書籍。

スマホが生むドキュメント性

フェラーリスは、現代のスマートフォンが、もはや話すためのものではなくて、「書き、読み、記録するための機械」になっている、と述べています。この規定は、今日のスマートフォンのあり方から言えば、きわめて妥当だと言えますが、フェラーリスはさらに、「ドキュメント性」という概念で表現しています。「書くことのブームは、私が<ドキュメント性>と呼ぶものの重要性のもっとも意義深い証拠の一つである」。

携帯する電話から始まったこの機械は話すこと以外にメール機能を備え、さらには、アプリケーションをインストールすることで無限とも言える使い方が可能となった。スマホのドキュメント性は公共的なアクセス可能性、消滅せずに生き残ること、コピーを生み出せること、この三点の特質がある。「アラブの春」を例にとると、青年の焼身自殺は映像として記録され、死んだ後も生き残ると言える。そしてこの映像はネットにアップされることで公共的なアクセスが可能となる。また、この映像はFacebookやTwitterなどでコピーされ拡散。話すだけの機能ではあり得なかった伝播力がありスマホがなければ「アラブの春」はあり得なかっただろう。

SNSによる監視社会

スマホは便利になった反面、SNSなどが監視の手段として機能している点も指摘している。どこかで事件や事故が起きればすぐさま現場にいた人から動画がアップされ共有される。警察自身も市民を取り締まる際、デモの様子などは撮影しているが、スマホが普及した現在は市民が自らネットに投稿してくれるので飛んで火に入る夏の虫だ。少し脱線するが監視社会という観点から言えば、近頃の若者は余程の勝算がなければ「告白」しないという。LINEなどのSNSで「告白」は瞬く間に共有されるため、失敗した時に仲間の中で立場がなくなってしまうのを恐れるからだそうだ。

他にも監視と言えば、買い物する時のクレジットカードのデータや、銀行を利用する時のキャッシュカード、電車に乗る時のパスモやスイカなどの電子マネー、ストリーミングでの音楽配信、車のカーナビ、Googleの検索など様々なところで「監視されている」ことを意識しないままデータのログが取られている。これがビッグデータとしてAIのディープラーニングに活用され、より人々の暮らしに役立っていると考えるか、それとも監視社会として警鐘を鳴らすかは人それぞれだろう。僕はブログでおおっぴらに個人情報を出している。これらの監視とも言えるデータの蓄積は暮らしをよくするためにはある程度必要かと思う。iPhoneのSiriなどが流暢に翻訳してくれるようになれば(現在はまだ人間のようにはいっていない)英語が苦手な僕も海外へ行く日が来るかもしれない。でも基本的に出不精なのでそんなこともないかww

人工知能を語る時、必ず取りあげられる「技術的特異点(シンギュラリティ)」

特異点とは何か。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来たるべき未来のことだ。

「技術的特異点(シンギュラリティ)」は年代を「2045年」と特定さえしているため、この年代がしばしば独り歩きしているが、21世紀のある時点で起こることは間違いないと思う。人工知能を語る時もう一つお約束となっているのが、「人間の仕事がロボットに奪われる」というもの。ある論文によるとアメリカの全雇用の47%が極めて高いリスクに分類されるという。しかし人間は技術革新による失業は過去にも経験している19世紀初め頃のイギリスでの産業革命だ。一時的に雇用が減ることはあっても、そのうち人間にしかできない仕事とAI搭載のロボットによる仕事とは住み分けされバランスが取れるのではないかと思う。

バイオテクノロジーの未来「ポストヒューマン」

ストックは、バイオテクノロジーの成果を積極的に取り入れ、「費用、安全性、有効性」の条件がクリアされるならば、人間に対する遺伝子組み換えも賛成すべきだと主張します。

長い年月をかけて進化してきた人類。それが人工的に行われることのどこがいけないのか僕には理解できない。より強い遺伝子を残すため、殺戮を繰り返したナチスドイツのようなことをするわけでもないし。人間と呼べないほどの能力を持った「ポストヒューマン」が現れようと、それも進化の一部ではなかろうか。再生医療で寿命が伸びたり若返ったりすることを個々人が選べる時代(高額の費用がかかるであろうが)の何がいけないのか。試験管ベービーだって人間として生きてるわけだから何もそこに線引きする必要はないと思う。

資本主義は21世紀でも通用するのか

2013年に出版されたトマ・ピケティの『21世紀の資本』では1800年以降の、アメリカとヨーロッパにおける富の分布で、トップ1%の人々と、トップ10%の人々が、国全体の90%の富を占めていてこの傾向が続けば格差は拡大していくことを示唆。格差是正のための累進課税の必要性を説いています。しかし格差がそんなに悪なのか、例えば生活するのに十分なお金があれば、格差は重要ではないのでは?むしろ「貧困の救済(ベーシックインカム?)」にこそ重きをおくべきでないかという哲学者もいる。どちらも採用して累進課税でトップ10%から税を徴収しベーシックインカムにまわすなどといったこともできるかもしれない。事実、株式投資の神様ウォーレン・バフェットなどは自分にもっと税金をかけろと言っている。成功者の中でも富を占有する人と慈善活動に熱心な人とでは印象が変わる。

後半、第5章では「人類が宗教を捨てることはありえないのか」、第6章では「人類は地球を守らなくてはいけないのか」について哲学者たちの見解がまとめられている。

いま世界の哲学者が考えていること[Kindle版]

いま世界の哲学者が考えていること[Kindle版]

  • 作者:岡本 裕一朗
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日: 2016-09-19